~②ソニー第一開発部 部長 大越明男氏との縁(後編)~

 

=②ソニー第一開発部部長 大越明男氏との縁(後編)=

~現代表(私)と大越氏の縁について~



前編に続いて、今回は後編『現代表(私)と大越氏について』を記したいと思います。



1. 初めての出会い~アメリカの風

1962年、大越氏がブラウン管(クロマトロン)技術取得のためアメリカニューヨークへ発ちました。私が大越氏に初めてお会いしたのはその時です。

先代と羽田空港へ見送りに行ったのは夕暮れで飛び立った機影が印象的でした。
その後頂いたお土産は、当時日本には未だなかった鮮やかで綺麗な青色をしたパーカーの万年筆でした。(当時12歳)



2.電子管製造体験~量産での苦労

1969年の夏、私が大学在学中に生産実習において2か月間、
大越氏と吉田工場長のお取計らいでソニー大崎工場にてブラウン管の製造ラインに入りました。

作業内は蒸し暑い炉での管前面パーメック樹脂で補強と管の消磁。

世間ではブラウン管13型が主力で、先駆けとして新規投入管16型を製造しており、私はまだ世に出回る前の『補強ガラス箱に印字された「16型表示マーク」』の切り取り作業を命じられました。

また、大崎消防署の危険物取扱いと保管管理の監査対応に就いていたことは今でも鮮明に記憶しています(当時19歳)



3.大越氏のご自宅にて~大越氏のモノへの愛着と大切心

大越氏のご自宅に招待していただいたことがありました。
2階一部屋は研究作業室になっていて、半田が付いたカーボン抵抗(使用済みの通常廃棄してしまう部品)などが缶箱に沢山に…。
その多さにビックリしたのと、小部品の一つ一つを大切にされていたことが忘れられません。

大越氏の開発における、いざという時の代用品の知恵や閃きは、
こうした既存の物や例え廃棄する部品でさえも大切にし、
留めておくことで生み出されていたのかもしれません。



4.発想の閃き~次世代のデバイスへ繋がる

『ブラウン管ステム』と『MD光学ピックアップ貫通コンデンサーAssy』には共通点があります。

大越氏らが開発したブラウン管ステムの「大気」と「真空域」を繋ぐ、
つまり異空間を結ぶデバイスからヒントを得て、
「生活周波数域」と「高周波帯域」を繋ぐ仕組みで製造することで貫通コンデンサーAssyは生まれました。

↳ブラウン管電子銃:ステム

 

貫通コンデンサーAssy


5.工夫と応用~製品化への早道

まだインターネットが無い頃、大越氏は試作品つくりで必要になった部品を使えそうな素材を探し出し、手加工で直しその場で結果を出しました。

このようなものの応用は後に、『CD光学ピックアップ用のリッツ線加工』の際生じた問題を早期に解決しました。

当時の課題は、極細のウレタン被膜銅線への打痕の対策でした。

研究試作時は手切り加工も、量産で数量が増えたため手作業ではなく機械を投入。
しかし、その機械の送り機構が「金属ロール」だったので、結果即「打痕」と言う不良に陥りました。

そこで私は大越氏の代用品の姿勢を思い出し社内を見渡したところ、
「電球真空排気に使用していた「生ゴムホース」を金属ロールに被せたらどうだろう…」と閃いた。
結果、切断寸法のバラツキもなく・打痕も解消され、後に月間200万本超/品種の納入へと拡がりました。


現在、大越氏は埼玉県蓮田の長松寺に、奥様日出代さんと一緒に休まれています。



今の世の中は情報にしても商品にしても、何でも簡単に手に入るようになりました。

しかし、正解がないものに対してや問題を目の当たりにした時こそ、

大越氏のように『手元にあるものの大切さに日頃から目を向けること』が、

次に繋がる着実で大切な姿勢である事を、私は学びました。


2019年06月27日